【f-tomoカフェ】第1回 湯浅 誠さん <前編>

2018年4月、婦人之友社ではじまった「f-tomoカフェ」。『婦人之友』読者と未来の読者、筆者と編集部がともに語り合い、これからの私たちの家庭やよりよい社会のために、知恵や思いを共有し、実現していこうというコンセプトのトークイベントです。 誌面ではご紹介しきれなかった、会全体のお話しを2回に分けてご紹介します。

子どもの貧困と、今日から私たちができること

~1ミリでも社会をよくするために~

 

「特別なことじゃなく子どものそばに“いるだけ”で助けになる。

ぜひこども食堂に行ってみませんか?」

2018年4月10日(火)開催

 

湯浅 誠さん

1969年生まれ。2008年の年越し派遣村村長を経て、内閣参与、その後は貧困問題解決の実践と発信を続けながら社会活動家、法政大学教授として活躍。『婦人之友』で連載の「思春期の悩み相談」も好評。

 

子どもの貧困は7人に1人。
人口で換算すると280万人。

撮影:金子 睦

 

司会: 本日ご来場の皆さんの中で、「こども食堂」を知らない方はいらっしゃいますか? ……ほぼ全員ご存じのようですね!
湯浅: 本当? すごい!
司会: 今日は、高校3年生から93歳まで幅広い世代の方がお越しくださっているので、こども食堂に関する基本的な事柄からうかがえたらと思います。現代の「貧困問題」が知られるようになって久しいですが、そもそも戦後だれもが貧しかった頃の貧困とは、何が違うのでしょう?
湯浅:

先日、岩田正美さん(社会福祉学者)の『貧困の戦後史』という本を読んでいて、そこで改めて知ったのですが、1940年代後半の調査で、日本人の44%の人が、1日一度も白いご飯を食べない、それが普通の時代があったのです。お金や物のなさでいうと、今はそこまでではない。けれど厚労省の統計では、日本でも餓死する人は年間60~80人います。私が支援活動をしていた頃に会ったホームレスの子は、最年少で14歳でした。

 

 

ストリートチルドレンが1人もいないわけではない。子どもの貧困は7人に1人はいると言われます(H27年・子どもの貧困率=13.9%)。これを人口で換算すると280万人。桁がだいぶ違います。これまでの「貧困」のイメージでいうと、「ほんとうにそんなにいるのかな?」と感じる数です。

私が子どものときにはツギを当てた服を着ている子がいました。中学生の頃は学生服の袖口が真っ黒な子がいて、両親がいるかいないかは自分が子どもだったので知らないし、体が小さくて細くて、勉強も体育もできなかったりした。当時同じ学年だった子は、今ではどうしているのかわかりません。

 

“貧困”の大きな問題は、
お金のないことが「孤立」に結びついていくこと。

湯浅:

この間ある地域の学童保育に行きました。60人くらいで部屋はいっぱい。さまざまな経済状態の家庭の子が来ているのですが、ツギのある服を着た貧困状態の子というのはいません。見た目ではわかりませんし、白米を食べていない子がいるかどうかもわからない。しかし今の貧困の大きな問題点は、お金のないことが「孤立」に結びついていくことなのです。

 

私は「貧乏と貧困は違う」と言っています。貧乏はお金がないこと。極端にないとこまりますが、脱サラして都会暮らしから田舎暮らしをはじめたら収入は減った、けれども子どもは元気に野原を駆けまわり、貧乏だけど楽しく暮らしています、なんていう人もいます。それはそれでいい。けれども貧乏が孤立に結びつくと、どうなるか。

 

これは高齢者のケースで考えると分かりやすいのです。高齢になると、まわりでお世話になった方が次々亡くなるということがあります。食費などは上手に切り詰められても、お葬式の香典をまけて、というわけにはいかない。でも立て続けだったり、遠方だと交通費もかかり、申し訳ないと思いながらも行くことができない。するとだんだん地域づき合い、親戚づき合いから離れ、周囲から切り離された高齢者ができてしまう。これが孤立の問題なんです。

 

それからしばらくして認知症を発症すると、ゴミの出し方がわからなくなり、家がゴミ屋敷のようになってはじめて、周囲が気づく。こうなるとすでに、孤立状態の赤信号です。その前段階に、人によっては5~10年という黄信号の状態がある。

 

「死なない程度の生活レベル」では社会が回らない。

湯浅:

これを子どもに当てはめて言うと、「修学旅行に行けない」というのは黄信号です。行けないのは可哀想だけれど、学業に影響するわけでもない。では何が大変なのでしょう。高齢者のお葬式と同じで、旅行に参加できないだけではなく、事前学習の班での計画の時間や、帰ってくると思い出話で盛り上がったりする。この間、数カ月は蚊帳の外に置かれてしまうのです。

 

子ども自身も「修学旅行なんか」、と開き直ってしまうと「ボッチ」、つまりひとりぼっちで孤立してしまう。ここが黄信号ですが、これでも誰も気づきません。それが何かの拍子にトラブルやいじめなどに発展して、赤信号として現れる。280万人というのは、この黄信号まで入れた数字なんです。そんなにいるだろうか? という感覚ですが、それは黄信号は見えにくいからです。

 

 

貧困状態の子どもが7人に1人というのは、OECDという国際機関が決めた方法で、日本政府が公表しています。しかし、なぜ黄信号が問題かというと、社会の持続可能性を考えるうえで、「死なない程度の生活レベル」ではだめだからです。世の中が回っていくために、働いて食い扶持を稼ぎ、税金や保険料を支払うことができなければ、社会が成立しないのです。

 

私は49歳ですが、あと16年で年金受給年齢になります。10歳の子は26歳。その子たちが年金を払うことで、私たちが年金を受給できる。政府は14年前に、現役世代の徴収金額の上限を決めましたが、その金額に去年届いてしまった。もう保険料はあげられないので、受給する人が増えれば、出口で減らしていくしかありません。

 

そうした状況に少しでも歯止めをかけるためにも、これから社会を支えて行く子たちには、働いて、年金も納められるようになってもらわないといけない。そうでないと社会がまわらない、というか私たちが困る(笑)。血縁関係はないけれども、そういう意味ではつながっている。なのでこども食堂なども含めて、その子たちが頑張ってもらえる環境をつくらないといけないのです。

 

 

食事をつくって一緒に食べる。
「自分にもできそう」だからこれだけ広がった。

司会: 280万人といわれる「子どもの貧困」の問題は、当事者だけではなく、実は私たちにも大いに関係がある。そのためにも黙って見ていてはいけないのだ、ということがよくわかりました。
それでは現在、全国で急速に広まっている「こども食堂」は、いつごろからはじまったのでしょうか。また、どのような役割があるのでしょう?
湯浅:

2012年に、こども食堂という看板を掲げた人がいまして、私もそれが最初と思っていました。ところがひと月前、『婦人之友』の座談会に出席したとき、1976年の記事を見せていただいたら「こども食堂」という言葉が載っていたんです。その記事は横浜市の中区寿町で、かつての日雇い労働者の町、今は福祉の街ですが、そこで当時、生活の困難な家庭や子どもたちの食事を支援しようという動きが始まり、だれともなく「こども食堂」と呼んだのですね。

 

 

その現代版は2012年、東京大田区の近藤博子さんがはじめました。この方は歯科衛生士さんです。きちんとしたものを食べることについて意識のある方で、故郷の島根県の野菜を取り寄せて売る、小さな八百屋をやっていました。あるとき、近所の小学校の副校長先生から、「バナナ1本と給食しか食べていない子がいる」という話を聞いたそうです。何かしたいけれど何をしていいかわからない、そうこうするうち、その子は児童養護施設に入り学区も変わってしまった。あの子には何もできなかったけれど、きっとほかにも同じような子がいるんじゃないだろうか。そう考えて、こども食堂をはじめられたのです。

 

当時、私も含め、多くの人が「こども食堂」を知りませんでした。2015年に新聞報道が増え、その反響を受けておこなった2016年7月の朝日新聞の調べでは、全国に300カ所あるということでした。ところが今回私たちが調査したところ、2286カ所と2年間で7倍になり、調べた私たちも驚きました。小学校は全国に2万カ所あります。中学校は1万カ所、児童館は4000カ所、オレンジカフェ(認知症カフェ)は2500カ所なので、それと同程度です。もう特別の人がする特別なことではなく、身近なものと言えるようになったと思います。

 

 

 

いろいろな人が関わることでさまざまなプラスがある。

湯浅:

当初、こども食堂は「貧困家庭の子を集めて、ご飯を食べさせるところでしょ?」と言われていました。でも、それでは子どもは行きづらいし、こども食堂を運営する地域の方には、どの子が所得の少ない家の子かなどかはわからない。なので実際にはじめると、どなたでもどうぞというふうになる。ある種、地域の交流拠点としてやっているということです。私はそこに、より積極的な意味があると思っています。いろいろな人が関わってくれた方が、さまざまなプラスがある。

 

私は千葉県松戸市で、こどもの貧困対策策定委員をしています。松戸は昨年、9歳のベトナム人の女の子が殺められた事件があったのですが、容疑者は保護者会の会長で、ふだん通学路で見守りをしていた人です。犯人かどうかはまだわかりませんが、そうした事件があると、もう誰も信用できないという空気になってくる。それを受けて、エレベーター内では知らない子に声をかけない、という規約をつくったマンションもあるそうです。

 

しかしそれだと、いったいどこで他人と知り合うのか、ということになる。かつては自治会の子ども会がありました。保育園のママ友でなく、PTAでもない地域のおじいちゃんおばあちゃんと、子どもが知り合う機会はゼロではなかった。その機能が弱まり、声もかけちゃいけない。変な話、その子のことを知っているおとなは親以外誰もおらず、逆に危険が高まっているのではないか、という風にも考えられます。

 

 

ここでしんどいのは、お母さんやお父さんたちです。誰も知り合いがいなければ、子どもの安全は自分たちだけで一身に背負わなければならない。けれど現実問題、働いてもいるから24時間一緒にいることはできない。じゃあGPSをつけるか? それも現実的ではないわけです。

 

そんな中、もう少し地域同士の接点が増えたほうがいいんじゃないか? という雰囲気が生まれつつあり、その1つが「こども食堂」というわけです。子どもだけとは限定をしていないところが大半ですから、知り合うきっかけになり、知り合えば不審者とは思われない。

 

こども食堂は「交流と発見の拠点」

湯浅:

近所の高齢者と子どもが知り合う機会があると、特定の子どもがおじいちゃんに懐いたりする。すると、親ほどではないけれども、今日はとりわけ元気がないとか、あざがあって虐待じゃないか? とか、その子の変化に気づいて対処できるかもしれない。学校に上がるときには、「就学援助という制度があるよ」と教えてあげられるかもしれない。そうしたおとなの存在は結構大切で、そんな意味でこども食堂は「交流と発見の拠点」なのだと私は言っています。

 

 

地域の交流拠点という側面と、子どもの貧困対策という側面と、その二本柱でやっていくということに積極的な意味があり、だからこそ広がっているのです。しかし、そうじゃないものはこども食堂じゃない、と言うつもりもありません。

 

それに、とっつきやすかったんだろうな、と思います。「学習支援」というと、学校を出て何十年も経つし、因数分解教えてと言われても困ってしまう(笑)。けれど食事をつくって一緒に食べることなら自分にもできそうということで、これだけ広がったのではないでしょうか。


後編につづく→


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