【f-tomoカフェ】第1回 湯浅 誠さん <後編>

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子どもの貧困と、今日から私たちができること

~1ミリでも社会をよくするために~

 

「特別なことじゃなく子どものそばに“いるだけ”で助けになる。

ぜひこども食堂に行ってみませんか?」

 

2018年4月10日(火)開催

 

撮影:金子 睦

生活体験が減ること、
それは学力低下にもつながっていく

司会: 今日ご参加の方の中で、こども食堂に行ったことのある方は手を挙げてみてください。……5分の1くらいいらっしゃいますね。
湯浅: うち3、4人は僕の知り合いですね(笑)。
司会 では、こども食堂に行ってみたいと思っている方は? 結構いますね、半分くらいでしょうか。
湯浅:

ぜひ行ってみてください。そう思う方はたいがい真面目な方だと思うんです。すると「自分が行って、役に立てるかな?」とか「中途半端な気持ちで行っていいの?」「休んじゃいけないんじゃないか」と思ってしまう。でも、特別なことができなくてもいいのです。こないだ、新潟の自然体験学校に行ったときに、そこの方がこんな話をしてくれました。昔から包丁を使えない子はいたし、何年か前には「見たことがない」という子もいた。そして、ついにでたんです! というので、何がときいたら、小5の男の子が「包丁って何?」って聞いてきたと。

 

会場: えーー!
湯浅:

生活体験が減ってしまっていて、それは学力にも結びついてくる。「包丁で何等分にする」などという問題も、包丁がわからなければイメージできません。そこで、みなさんは特別なことをしなきゃならないかというと、そんなことはない。「これが包丁だよ」と一緒に野菜などを切れば、「へえ!」って驚く子もいるのです。また初めて鍋を囲む経験をして、「鍋をつつくって本当にあるんだね」といった女子高生もいました。その子はテレビのCMで見たことはありましたが、それまでフィクションだと思っていたのでしょう。このとき、おとなは一緒に鍋をつついていただけですが、彼女にとっては、一生忘れられない体験になったかもしれないのです。

 

またそれによって、彼女自身が家庭をつくるときに”鍋をつつける家庭にしたい”と思うかもしれない。それは経験を通して、人生の価値観や選択の幅が増えて行くこと。多くの人にとって当たり前の経験がない子や、「あんたは生まれてこなければよかった」と言われ続けている子もいる。遊んでいるときに、となりでおとなが見守っているだけで、驚く子もいるかもしれないですね。「ボールを転がして遊んでも怒らないんだ!」と。そうした寄り添いを、私たちは「いるだけ支援」と呼んでいます。みなさん、いるだけならできるでしょう?(一同笑)。体さえ持っていけばいい。特別なことはできなくていいんだと思って、行ってみてください。

 

 

今日の午前中、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の著者、新井紀子さんと取り組むプロジェクトのために、板橋区の中学校に行きました。小学校低学年くらいまではドリルをこなすよりも、おとながそばにいて「今日どうだった?」「何が面白かった?」など聞いて、文章で話せるように促してあげる。そういう関わりのある方が、学力があがるのではないか? 私はそんな仮説をもっていて、それを実証するプロジェクトです。しかし残念ながら、家庭ではそうしたことがなかなかできていないんです。仕事をしていると、ご飯を食べさせ寝かしつけるだけで手一杯、そういう人も多い。会話の時間がもてない子にとっては、会話できる人がそばにいることが、子どもの学力を高めることになるかもしれない。

 

「中途半端な気持ちで行ってもいいのか?」という問題は簡単で、2度目以降行かなくなったとしても、「なぜこないんだ!」と怒られることはありませんから、ご安心ください。自分に合わないなと思ったら行かなくていいんです。ぜひ一度、顔を出してみてください。

 

 

側面支援のために
保険料を寄付で募った

司会:

急速な広がりを見せている「こども食堂」ですが、課題もあると聞きます。「こども食堂 安心安全プロジェクト」を立ち上げたそうですが、それはどのような活動なのでしょうか?

湯浅:

広がることは嬉しいし、ありがたいのですが、暑くなると普通の飲食店でも衛生上の事故が起こる可能性が高まります。2300カ所という規模なので、全国のどこかでそういうことが起こらないとは限らない。

そうしたことへの備えがないと周囲の人が不安になり、子どもに情報が届かない、ということにもなりかねません。例えば学校の先生がこども食堂の話を耳にして、ある子に勧めてみようかなと話題にしていても、「もし何かあったら責任取れるの?」となると話が止まってしまうのです。そのときに、「保険でサポートする体制があるから大丈夫らしいよ」と言えるといいなと考え、スタートしました。

 

残念なことに、頑張ってやっても伝わらなくて広がらない、広がらないから閉鎖、というところも中には出てきています。安心してもらって、多くの人が来てくれるといいけれど、小さい団体ほど安全面に手が回らない状況があります。

 

次回の開催のために公民館を申し込んで、抽選で当たったら使い慣れないパソコンでチラシをつくって、次のメニューやスタッフ、買い物、とやりくりをする。自分の仕事もしながら、まわしていくことで手一杯なんです。そこで、側面支援ができればいいなと思い、保険料を寄付で募ることにしました。

 

 

2300カ所のうち、保険料の支援が欲しいという全国44都道府県200カ所のこども食堂の、保険料3年分を集めています。「保険入っています」というマークをつくって、チラシなどに使ってもらえば安心感も広がるので、ボランティアや、あまった食材を寄付する農家さん、商店が増えたり、場所を貸してくれるお寺さんが増える。そうしたなかで運営に余裕が出てくれば、それを保険料にまわしていける。1カ所1回あたりだと、たいした金額ではないのですが、200カ所の3年分は1000万円にもなります。はじめて1週間で集まったのが500万円。あと500万円なのでみなさんが10万円ずつ出してくれたら、今日でおしまい(会場笑)、という感じです。

寄付は、ネットではクラウドファンディングという仕組みを使っていますが、郵便振替、銀行口座もあります。(目標を達成し、ひき続きネット募金を継続中。

 

サッカー日本代表元監督の岡田武史さん(現今治FCオーナー)や、元ヤクルトスワローズで野球解説者の古田敦也さんも応援してくれています。また、吉本興業さんは、沖縄にエンターテインメントスクールをつくったのですが、そこの1階はこども食堂になりました。このように、いろいろな方が関心を持ってくれています。

 

こども食堂を貧困対策とだけ見るのではなく、自治会のこども会の現代版だと思っていただければと思います。夏の流しそうめんや、冬のクリスマス会、お正月の餅つきなどをしている所もあります。家庭で生活体験の機会がない子は、こども食堂でそれを得ているのです。やはり人間ってそういう集まりを欲するんですね。自発的にはじめる人が後を絶たない。つながりたいという意識は根強いものだと、改めて感じています。

 

<会場とのオープントーク>

実際には、みなさん一人ひとりが、
子どもとの接点を増やすしかありません

40代女性:

今日は興味深いお話をありがとうございます。黄信号のお話がありました。私は子どもがおらず、近所に知っている子もいないので、誰が黄信号を発しているのかわかりません。実際には、近所でふだんと違う子どもの泣き声が聞こえたときに、悩んで悩んで通報したことがありました。でも、それが正しかったかどうかもわからず……。でもいつも力になりたいと思っているので、何かアドバイスをいただけたらと思います。

 

湯浅:

去年8月、私も悩みに悩んで、はじめて「189=いちはやく」という虐待ダイヤルの番号を押しました。最寄りの児童相談所につながるのです。その日聞こえてきたのはあきらかに折檻されているような反射的な声で、それが5分、10分と続きました。後日、通報した児童相談所に取材させてもらい、話を聞きました。

新聞などにも、児相への通報が増えたという報道があるのですが、よく見ると警察からの通報が増えています。子どもには手を出さないけれど、夫が妻を殴った。これは面前DVといって、子どもに精神的な傷を残すと言われます。なので「面前DV」は警察が介入し、児童相談所に通報する義務があるのです。その数を引くと、人口に対して5000人に1人の方が、年に1回通報している。決して多くはない。それが先ほどのご質問の前段です。

 

そこで実際にはどうしたらいいか? となると、やはりみなさん一人ひとりが子どもとの接点を増やしていくしかありません。例えば、学校を地域に開こうと考えられた、「コミュニティースクール」をご存知でしょうか。保護者や地域の人々に、学校運営にも関わってもらおうという制度です。佐賀県の武雄市では、その制度の一部として、市内の小学校(現在は11校中9校)全学年の朝の15分学習(計算や書写)の丸つけを、地域で登録した保護者や地域のおじいちゃん・おばあちゃんがしています。それによって地域の人と知り合う機会が増えたそうです。

そんな視点で見ていくと、学校以外のところで接点を増やすこともできます。保育園は? 児童館は? 公民館は? もっと増やせそうな施設はいろいろありますね。そうした施設に知り合いがいたら話して、話題にしていただく。すると誰かがどこかで動きはじめたりして、接点が増やせる。見守る目が増えていきます。子どもの黄信号が発見でき、赤信号になりにくい、サポートのできる地域になる。そうした接点ができないかなと、見て動いていただければと思います。

 

 

子どもに対して地域ができることを
現代のやり方でする必要がある

60代女性:

私は公立の小学校で教育支援員をしています。卒業式で、校長先生は「この子たちは地域の宝です。これまで育てていただきありがとうございます」とおっしゃったり、子どもたちも私に「先生はどこの町会?」と聞いてくるほど、地域に根ざした学校です。

制服のある小学校なので、中にはいつもシャツが汚れていたり、ズボンのゴムが緩んでいてゴムを通してあげたり、生地が薄くなっていて破れていたり、そんな子もいます。けれどもそこは子どもの領分ではなくて、親の守備範囲。生活体験がないというお話がありましたが、子どもばかりか、親の生活体験の不足がそうした状況を生みだしていて、シャツの汚れている子は3年生でも音読ができなかったりします。けれども母親や父親も忙しい、そんな中でどうしていったらいいのだろうかと思います。

湯浅:

和歌山県湯浅町というところに、2日前に行ってきました。湯浅が湯浅に行ったのですが(笑)。そこでは、地域住民で「家庭教育支援チーム」という組織をつくっていて、0歳から15歳の子どものいる家庭に、専用の広報誌を持って訪問するのです。頻繁に行っていると、外でも声がかけられるようになり、スーパーや街中で会うなどすれば、こぼれ話も拾えるようになります。3人子どもがいると、それだけで年12回その家を訪問する。それをチームで共有する中で、学校に伝えたほうがいいこと、見守りでよさそうなことがわかり、家庭丸ごとを地域で支えられる。

アメリカのある州では、専門職のスタッフが家庭を訪ねて、記録にとり、子どもへのベストな声かけや行動を母親にフィードバックすることで、親としての行動を促していく。実験段階ではありますが、進めたり引いたりすることで、世の中がなれたり、ほどけたりする。じんわりと進めて行くしかないかなと思います。

学校の先生たちは超多忙ですし、家庭もいっぱいいっぱい。その二者択一ではだめ。もう一つ、地域ができることをカバーしていくあり方を、現代のやり方でしていく必要がある。これまではみな、地域のしがらみが面倒だし嫌だったので、どんどん捨ててきたのですが、少し行き過ぎたな、という反省もあるのでしょう。ほどよい距離感の地域関係をつくる必要があるのでは? と思います。

 

 

教育資金贈与信託という、2012年にはじまった景気対策があります。1500万円までは、孫が30歳を迎えるときまで無税で贈与できる。25歳のOLの孫にも渡せる。これで1兆円以上のお金が動きました。経済的に豊かな親族のいる子どもは、教育費がバンバン出てくる。お父さんお母さんにお金を何に使いますか?、と聞くと、浮いた分も教育費に使う、と7割が答えたのだそうです。

 

その一方で、そうでない家庭の子には関係なく、誰かからもらっても税金がかかります。そこを税制改正しようと提案したところ各省庁が取り上げてくれて、いいところまでいきました。しかし最後の最後、自民党の税調で丸がつかなかったので残念ながら実現しませんでしたが。そうした制度面の整備も、ますます必要になってくると思っています。

 

見えないことは無視につながり
関心は尊重につながる

司会: 最後にお一人いかがでしょう?
30代女性: はい。私、泣きそうなんですけれども……。
湯浅: 泣いてもいいんですよ。
30代女性:

私は家庭環境が良くなくて、目の前で親が殴られる環境で育ってきました。15年ほど前なので、今のように通報できる時代ではなかったのです。一番ショックだったのは、母親がぼこぼこと殴られているのに、近所の人は集まってくるだけで、止めたり、通報したりしてくれない。小学生だった私は自分で電話をしたのですが、かけ方すらわからない。かけてみたら時報だったりして、自分でも笑ってしまったほどです。そのとき、世の中ってそんなものなんだと感じました。現在は漫画を描く仕事をしているので、そうした経験を今、生かせたらなと活動をはじめています。

 

児童養護施設の子どもたちは、自分の育った家を責めたり、自分は生きていていいのだろうかなどと、悩んでいる子が多くいます。本来、将来への夢は誰もが持っていいはずなのに、「夢を持っていいいのだろうか?」と考えてしまう。私はそれを漫画の中で叶えてあげたいと思って、話を聞きに行っています。

 

私が児童養護施設に入れたのは、17歳のときでした。協力してくれたのは高校の先生です。警察は通っていた小学校、中学校の先生にも連絡してくれたのですが、気づいてはいたけれど関われなかった、と言ったそうです。周りの人たちが気づける場所。こども食堂のように社会の人が歩み寄れる、そうした活動がますます広まったらいいなと思いました。

 

湯浅: 17歳で養護施設に入れたのですね。それまでの時間を取り戻すために、同じ時間がかかるんだと思うんです。それは子どもも大人も同じです。いろいろな人に会ってきましたが、それを理解してもらうのにも時間がかかります。生きづらい思いをしてきた人に、「もう3年経つし、なんとかなるでしょ?」と言う人もいるのですが、3年どころではない。10年かかってもおかしくない。みながそう思える感覚を広めていきたいですね。
参加者: ぜひ一つリクエストしたいのですが、いいですか? 今日、寄付箱を置いていただき、いくらか気持ちを入れて帰りたいのですが、可能でしょうか?
湯浅: 素晴らしい、いいアイディア! (会場拍手)
司会:

ではそうさせていただきます。受付にご用意いたしますので、ご寄付をお願いします。

 

湯浅:

最後に、これは座右の銘なのですが、「見えないことは無視につながり、関心は尊重につながる」。グリーンハウスというジャーナリストの言葉です。

見えないと無意識にないものとしてしまう。大勢のホームレスの人と知り合う中で感じたのは、彼らと話していると、いいときもあったり、わるいときもあって、それぞれの人生にストーリーがある。その人なりに一生懸命生きてきたのだなとわかると、尊敬の念が芽生える。関心をもつとその先の関係に行けるのです。見えないと後ろにいくし、見えると先に進む。それは社会のあり方も同じなのかなと思っています。

司会:

湯浅さん、ご参加のみなさん、本日はありがとうございました。

 

*会終了後、皆さんから集まった 62,126円は、「こども食堂安心安全プロジェクト」に寄付をいたしました。


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