
| 思いがけない写真を婦人之友社に贈って下さった方がいます。 ここに掲載します。 婦人之友社から、現在も「ビデオ・三びきのこぐまさん」を出版している村山籌子さんの句碑の写真です。生誕の地高松に下記のように。現地では、句碑が建って14年も経ち、すでに風景に溶け込んでしまっているのでしょう。今年7月に訪ねた東京の読者が「これは、婦人之友社に知らせたい」と思ってくださったのでした。 夫知義さんとの合作の童話は、復刻「子供之友」の中にもあります。 高松市指定無形文化財 水任流女性の先駆者 村上籌子之碑 〈右〉 われは ここに生まれ ここに遊び ここに泳ぎ ここに眠るなり しづかなる 瀬戸内海の ほとりに 〈左〉 村山籌子は明治三十六年十一月七日 高松市南亀井町、薬種問屋 岡内家の長女に生まれた。 高松尋常小学校、香川県立高松高等女学校を経て自由学園高等科に学び、婦人之友社記者となる。やがて同社の『子供之友』の編集に従事しつつ、自ら作品を寄稿 同誌に童画を寄せる村山知義と結婚、籌子作知義画の幼年童話群は満天下の評価を受け、次世代の滋養として今日益々その意義は高まっている。 この児童文学上の貢献と共に籌子の目ざましい活躍は遊泳であって小学校時代、女学校時代毎夏、大的場の水練に参加、運動勉励の特別賞を授賞、県女水泳部の黄金時代を築き、自らは碑面裏側に示す如く香川県教育会高松支部会遊泳部より「 技術ヲ履修シ其過程ヲ卒ヘ 」た証明書を受けた。彼女は男子のみの参加する女木島への遠泳にも参加して泳ぎ切るという他の女子選手の追随を許さない勇気と力量を有した。 籌子は水任遊泳術へのひたむきの執念を抱き、死に臨んで墓は瀬戸内海のほとり、碑銘に「ここに泳ぎ」の句を刻むよう遺言した。 右の言葉を残して昭和二十一年八月四日 鎌倉の仮寓に死した彼女の五十周年に当り、その生涯に亘る女性泳者としての尽すいを想起し、父母の墓地にも近い此地に、その偉業を偲びつつ本石碑を建立するものである。 平成八年八月四日 水任流保存会 * 「3びきのこぐまさん」は『子供之友』誌上に1925年~28年にかけて好評連載された、村山知義・籌子夫妻 による絵ばなしのひとつです。 1986年に復刻しました。今も多くの子どもたちに読み親しまれています。 |
| 句碑は、瀬戸内海を望む場所に。 | 水任流女性の先駆者 村上籌子之碑 |