おばあちゃんの食器棚 第8話「ガラスのヒヤシンスポット」

 

小さな家に残された、ひとつの食器棚。

はるさんが残した器や布たちが、

手しごとの物語を

静かに語りはじめます。

 

稲垣早苗・文   大野八生・絵

 


第8話「ガラスのヒヤシンスポット」

 

 私たちが食器棚にいる時間は、あんまりないですね。はるさんが短めの枝の草花を活けるときは、テーブルや窓辺や玄関口、家の中のあちらこちらに散らばって働いていますし。そして、私たちが働くメインシーズンは冬から春先。ヒヤシンスやムスカリ、スイセンやチューリップの球根を載せてもらって、大切に咲かせるのがお役目なんです。私たちは水耕栽培のために作られたガラスのポットですから。

 

 私たちを作った人はガラスを吹く人。ドロドロに溶けたガラスの素が入った窯の前に立って、棒を入れては水あめを巻き取るように引き出すんです。熱い熱いうちに笛を吹くみたいに棒の先から空気を入れて、かたちを作っていく。風船をふくらますみたいにね。緑さんというその人は、来る日も来る日も窯の前に立ってガラスを作っていました。とっても働き者。

 

 キラキラと輝くガラスが大好きだった緑さんは、きれいなものを作って暮らしていきたいって、ガラス工房に見習いに行ったんです。そこの親方にガラスの吹き方を教わって、やっぱりこれを一生の仕事にしたいと思ったんですね。

 

 汗をたっぷりかきながら、気持ちを集中させて、リズミカルに動いていく。スポーツのようなさわやかさも気持ち良くて、作るほどにどんどんうまくなっていったんです。その上、自分の作ったガラスのコップやお皿の素敵さにもホレボレしていたみたい。私はなんて幸せなんだろう。こんなにきれいなものを作って暮らしていけるなんて、と。

 

 親方の工房から独立して、ひとりでガラスを売り始めたときに、緑さんは、はるさんと出会いました。 はるさんは 緑さんが作ったもの、つまり私たちをとっても好いてくれて。いいものをずっと作り続けてね、っていつも緑さんを励ましていました。

 

 でも緑さんに、そんな励ましなんて必要なかったんです。だって作ることが楽しくて楽しくて仕方なかったのだから。とにかくせっせとガラスを吹いては、はるさんがやっていたようなお店に送って、並べてもらっていたんです。

 

 ある時から、はるさんのお店に緑さんのガラスが届かなくなりました。 はるさんはしばらくはそのままにしていたんだけれど、だんだん心配になって、工房を訪ねてみました。

 

 辿り着いた工房では、窯の火は消えて、ほこりっぽい作業場には生気がなく、はるさんはとっても驚きました。隣の住まいの方へ声を出して呼んでも、返事はいっこうに返ってこなくて。はるさん、工房の小さな木の椅子に腰かけながら、ずっと緑さんが来るのを待っていたんです。

 

 緑さんは、はるさんに会いたくなかった。はるさんだけではなく、誰にも会いたくなかった。きれいなものを作って暮らしたい、それが叶ったと思ったけれど、いつのまにか作ることに追われるばかりで、きれいだなぁって心が震えるようなことから遠くなってしまっていたんですね。

 気持ちがしおれてしまって、窯の火を落としていたものだから、はるさんのところには、ガラスがちっとも届かなくなっていたんです。

 

 太陽が西に傾いて、薄暗がりになって、そのうち真っ暗になりました。もうはるさんは帰っただろうと思って、隣の工房へ行ってみました。すると、小さな明かりがぽっと灯っていてびっくりしたのです。工房に火の気なんてあるはずなかったものだから。でもその明かりは、はるさんが灯したものでした。緑さんの工房を訪ねる時、はるさんは丸くてたっぷりとしたろうそくを持ってきていたのでした。

 

 はるさんはろうそくを灯して、緑さんを待っていました。眩しい電灯の下では話せないことも、揺らぐ火を見ながらなら、ゆっくり言葉を交わせるのではないかと思って。

 

 暗がりの中で、緑さんは表情を取り繕う必要もなく、自然に椅子に腰かけて、はるさんと向き合いました。ふたりの間にはろうそくの灯が揺らいで周りを暖かく灯していました。

 はるさんは持ってきた包みを開けて、テーブルの上にそっと置きました。それが私。ヒヤシンスポットだったんです。

 

 

 

 10年ほど前、緑さんは小学生の時に育てた水耕栽培が懐かしく、そうだ、自分でポットを作ってみよう、と制作をしてみました。理科の時間に使ったものはプラスチックだったけれど、透明で素直なすっきりとしたフォルムの水耕栽培ポットだったら、さぞきれいだろうと。こうして出来上がったポットを緑さんはどこのお店にも出さずに、自分のために使ってみることにしました。

 

 12月。幾つも作ったポットに水を張って、球根をひとつずつ仕込みました。まずは白、青、紫のヒヤシンスの球根。お尻がぎりぎり水につくくらいにして、北側の暗い部屋に置きました。温かくて眩しい部屋に置いたら、急に春がやってきたとびっくりしてしまうから、球根にゆっくり目覚めてもらえるように、冬らしい時間を北側で過ごしてもらったのです。

 

 白く輝くような根っこがしっかり伸びた頃、緑さんは南側の温かいお部屋にポットたちを移動させました。すると球根のてっぺんから、つんつんと緑色の円錐が伸びてきました。芽。芽は少しずつ生長して、やがて葉が現れ、茎が伸びて蕾の姿を見せてくれたのでした。

 

 ある朝、清々しく、懐かしい香りが緑さんの部屋に流れ出しました。最初に花を開かせたのは、白いヒヤシンスでした。緑さんは花に顔を寄せて、胸いっぱいに空気を吸い込みました。ああ、なんてよい香りなんだろう。いつかかいだことのある懐かしい匂い。心を掃き清めてくれるような香り。

 

 水耕栽培ポットに仕込んだ球根が次々に花開き、その年の冬から春は、緑さんの心はとても満たされていました。このポットを作って喜んでもらおう。私が作ったものを手にした人が、幸せな時間を過ごせたらいいな。季節を愉しく過ごしてもらえたらうれしいなと。

 

 翌年から緑さんのポットはとても人気となって、はるさんのお店でもたくさん買われていきました。こうして毎年、夏から秋の終わりまで、ポットをひたすら吹く年が続いたのでした。

 

 その晩、灯ったキャンドルの火を囲んで、はるさんと緑さんは、ゆっくりゆっくり言葉を交わしていきました。小さな明かりだったけれど、小さな明かりだからこそ、ほんとうの言葉だけをそっと照らして。

 

 火種。

 そう、はるさんは言っていました。緑さんには、作る人の心の火種があるのだからと。人の心に美しさを宿すようなものを作りたいと願う緑さんの心の火種と、ものを生み出す窯の火種を絶やさないでほしいと。

 そして、緑さんにとって、ものづくりの火種をまっすぐ感じさせてくれるものが私たちポットだと、はるさんは知っていたのかしら。

 

 ろうそくの灯りのもと、自分で言うのもなんですけど、うっとりするような曲線の透明な私の姿をあらためて見ながら、緑さんの心の火種は息を吹き返したようでした。

 

 透きとおって、ひんやり涼しげなガラス。でも私たちは、熱い熱い火の中で作られている。そして私たちを作り続ける人には、心の火種がたしかにぽっと灯っているんです。

 

(第9話につづく・2022年12月12日頃に掲載予定)

 

 

稲垣早苗(ヒナタノオト)

作り手と使い手の橋渡しをする、工藝ギャラリーの仕事を続けて36年が過ぎました。

人の手から生まれた愛おしいもの。「伝える、贈る、遺す」を心において物語を紡ぎます。

https://musubuniwa.jp/

大野八生(イラストレーター)

植物を中心とした、繊細でいてあたたかな絵が人気。小社発行の『明日の友』表紙を長年描く。絵本や児童書の挿絵を描きながら、造園家としても活躍。

 

 

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第1話から4話までは、『婦人之友』2022年5月〜8月号に掲載されています。ぜひ、お手に取ってご覧ください。

 

第1話「大きな食器棚」(2022年5月号)

 

第2話「漆のご飯茶椀」(2022年6月号)

 

第3話「こぎんのティーコゼ」(2022年7月号)

 

第4話「木のサラダボウル」(2022年8月号)